オアシス『Live Forever』
今日はOasis『Live Forever』について。
アルバム「Definitely Maybe」収録。
この曲は、イギリスのロックバンドOasisが1994年に発表したポップロックです。
魂のこもった明るさに満ちた曲。
作詞、曲共にノエル・ギャラガー(Gt)。
「たぶん、すべての夢は叶えられない」
「けれど今は泣いている場合じゃないんだ」
「今はその理由を見つけ出さなきゃならない」
「僕と君は一緒なんだと思う」
幸せな言葉ばかり並べるような歌詞では無く、出来ないこと、泣きたい事も沢山あるけど、リスナーに「似た者どうし一緒に一緒に頑張ろうぜ」と語りかけるような詞です。
自身の母親を称える意味で作詞されたとの事。
ですがその一方で、少し前まで世間で流行していた、カート・コバーンを始め他グランジバンドがよく歌詞のテーマにしていた「自己嫌悪」に対するアンチテーゼの意味も含まれているそう。
「当時のニルヴァーナなどのグランジは、自己嫌悪とか“死にたい”というものばかりだったからね。僕はそう思わないし、カート・コバーンみたいなのには腹が立ったよ。だから永遠に生きたいというような曲を作ったんだ。」
とノエルは語っています。
歌詞のフレーズの
「僕たちは彼らが決して見られなかったものを見る」
「君と僕は永遠に生き続けるんだ」
の「彼ら」とは、一説には当時流行していたグランジバンドの事のよう。
基本的にノエルは、例えばかつてインタビューで
「僕の葬式なんてどうでも良いよ。どうせ僕はその場に居ないんだから」
と言うほど、サッパリしているというか太い芯を持った人物。
そのノエルからすれば当時のグランジのナイーブな空気はある意味、不健康な世界に見えたのかもしれません。
ただ、かと言ってカート・コバーンの全てを否定している訳では無く、お互い幼い頃に複雑な家庭環境で育った事や、ディープなビートルズファンである事など共感している事も多いようで
「カートに逢ってみたかった」
「カートがもしまだ生きていたら、きっとアメリカのジョン・レノンになっていた」
と、一定の敬意も払っています。
目指す方向は違うけれど、認めてはいるという、まるで理想のライバルのよう。
良い関係ですよね。
楽曲としても、とても温かいメロディ。
ローリング・ストーンズの「シャイン・ア・ライト」の影響で作った曲だそうですが、どこか前述のビートルズの「ヘイ・ジュード」を感じさせるメロディもあり、日だまりの柔らかさを持っています。
ノエルが超リスペクトしているビートルズのポール・マッカートニーがこの曲(とSlide AwayとWhatever)を好きだ、と言った際には
「その日の夜に、車に轢かれて死んでも後悔はない」
と漏らすほど歓喜したそう。
ロック界の生きる伝説に愛され、またシングル曲としてもははじめて彼らがチャートのTop10入りを果たし、世間的にもオアシスが認められるきっかけに曲。
音色、歌詞の深み、そして無駄な音の無いメロディ。
ポップバラード曲としての完成度、内に込められた感情量がずば抜けた曲です。
人生そのものを肯定するようなバラードを聴いてみてください。
それでは。