リンキン・パーク『Numb』
今日はLinkin Park『Numb』を聴いた感想を。
アルバム「Meteora」収録。
この曲は、アメリカのロックバンドLinkin Parkが2003年にリリースしたオルタナティブ・ロックです。
ドロッとした繊細さと、ドシッとした強さも感じさせてくれる曲。
聴きどころはチェスター・ベニントン(Vo)の切なすぎる声。
フルパワーの声の迫力がもの凄いボーカルなのですが、サビでの叫び方など絶妙な声のかすれ方で、本当に芯からの「叫び」がリスナーの胸に響きます。
チェスター自身、中音域のクリアな歌声と高音域のエモーショナルなシャウト声の落差がまるで別人のように激しい事で知られる歌手ですが、この『Numb』ではそのオリジナリティが顕著です。
他のどんなに歌唱力があるボーカルが歌っても、この『Numb』のこの味を出す事は出来ないでしょう。
そして『Numb』、というよりリンキン・パークそのものの本質、鋭利な歌詞。
「君が僕に何を期待しているのかわからない」
「いつもプレッシャーの下に置かれている まるで君の靴で人生を歩かされているようだ」
まるで支配的な親と関わる事に疲れたような歌詞。
実際に親の事を言っているのかは解りませんが、立場が上の人間に簡単には逆らえない無力感、怒りを感じる詞です。
でもそれだけでは終わらなくて
「僕はすっかり何も感じなくなった いまでは君がそこにいることも分からない」
「とても疲れたよ 想っているよりもずっとね」
「けど僕はなりつつある 本当になりたいものに」
「それはより僕らしくて、そして君らしくなくなること」
ロックアーティストらしく、いつまでも腐るわけじゃなく、あくまでも変わってみせる、という気概を示します。
普通ならここで、熱いままロックらしい終わりを迎える流れ。
しかしそこはリンキン・パーク。
「わかってる 僕も結局は同じ過ちを犯すだろう」
「でもわかってる 君も僕と同じように」
「誰かからのの期待を裏切ってしまったんだという事を」
よく、親や立場が上の人間から支配的な教育を受けた人は、意図して変えない限り自分の目下の人にも同じような振る舞いをしてしまう、とはいいます。
そして、きっと自分もそうなるのだろう、という、客観的というかニヒリズムさえ感じるフレーズ。
この空しげな怒りの世界観は同じく彼らの代表曲「In the end」にも言える事ですが、キャッチーでダンサブルな曲調だからこそ、陰鬱でシビアな歌詞がリスナーに響きます。
ちなみにこの『Numb』の歌詞は、日本のファンには「自分と職場の上司の事を歌ってるみたい」と感じる人が多いもよう。
特に日本は高圧的な上司がはびこるブラック企業が多いと言われるように、上下の人間関係に悩む人が多い国。
現在は、並のラブソングよりも、こういう「命令/服従」に悩む主人公をテーマにした作品の方が受ける時代が始まっているのかもしれませんね。
激しいサウンド、なのにバラードのような美しさを持つ曲を聴いてみてください。
それでは。