音の日

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森山直太朗『夏の終わり』

今日は森山直太朗『夏の終わり』について。


ミニアルバム「いくつもの川を越えて生まれた言葉たち」からのシングルカット曲。

この曲は、日本のシンガー・ソングライター森山直太朗が2003年にリリースしたポップバラードです。


文学的なまでに鋭い詞が印象的な曲。

水芭蕉揺れる畦道 肩並べ夢を紡いだ 流れゆく時に 笹舟を浮かべ」

森山直太朗本人いわく「反戦歌」。

『夏の終わり』と言うくらいですから、おそらくモデルは第二次世界大戦

「笹舟」とはおそらく、日本では神道に並ぶ宗教である仏教での言い伝えでいうところの「三途の川の渡り船」の暗喩でしょうか。

戦争で亡くなった人達が渡り船に乗って、向こう岸に向かう姿が表現されているのかもしれません。

あえて「笹舟」という、脆い響きのある単語を使っている所が深いですよね。

そしてクライマックスは、この曲の本質に近い部分。

「追憶は人の心の傷口に深く染み入り 霞立つ野辺に 夏草は茂り」

「あれからどれだけの時が徒に過ぎたろうか せせらぎのように」

戦争は人々の心に大きな傷痕を残したけれど、年月が経ち、その苦しみを忘れていき、人々は新しい道に進んでいく。

本作の良いところは、その「傷痕を忘れる」事自体が良い事が悪い事かは言及していない事。

忘れなければ、戦争で亡くなった人達の無念の気持ちを組み続けられる、という良い点がある反面、敵国に対する恨みの気持ちも忘れれない、という部分もある。

一方で、忘れてしまえば後ろ向きな感情を浄化できる反面、この国の為に懸命に戦った人達の尽力の価値まで置き去りにしてしまう事になる。

この曲は「反戦歌」で戦争の存在自体を否定はしているのものの、戦争による悲しみ自体を引き継ぐ事の賛否は聴き手に任せている、ともとれる詞にも読めます。

森山直太朗本人の言いたい事は言いつつも、聴き手の心の奥に土足で踏み込むまではしない所が「この人はやはり詩人なんだな」と思わせてくれます。

森山直太朗はこの作品を

「「さくら」でも他の曲でもなく、この曲が生まれたときに、作家として確信したものがあった」

という趣旨の事を語った事があるそうですが、それに相応しい趣きを備えた詞です。

本作での、彼のまるで1つの楽器ののような歌声が、曲に込められた情感を際立たせています。


ちなみに森山直太朗の実母の森山良子もこの曲を、
アルバム「春夏秋冬」においてカバー。

性別も癖も違う歌い手なのに、どこか発声が似ていて「違うようで同じ、同じようで違う」な仕様になっています。

興味のある人達は是非聴いてみてください。



それでは。