音の日

好きな音楽、その他趣味のこと

エミネム『Lose Yourself』

今日はEminem『Lose Yourself』について。


この曲は、アメリカのラッパーEminemが2002年にリリースしたラップ曲です。

2002年度アカデミー歌曲賞受賞曲。

エミネム本人が出演した事でも知られる映画「8 Mile」のサウンドトラック曲としても有名。

「Not afraid」と並ぶ、全米チャートで数週間1位をキープし続けたエミネム全楽曲の中でも1、2を争う知名度を誇る曲。

人気がありすぎて、ニュージーランド国民党が、当時首相だったジョン・キー首相再選のために行われた2014年のキャンペーンでこの音源を使用し話題になったほど。
(ただエミネム側いわく「許可なく不当に使われた」として、裁判沙汰になりましたが)


この曲で好きなところは、その渋み。

あえて同じフレーズを繰り返すギターリフに、アクセント程度に導入されたひんやりとしたピアノ。
リスナーの深層心理の部分にゆっくり、時間をかけてジワジワ迫っていくような構造になっています。

世間の一部ではラップ、ヒップホップに軽々しいイメージを持つ人もいますが、この曲からは深みというか、聴き手にダンスをさせたいだけじゃない、しっかり「表現したい気持ちがあるからラップをやっている」という想いを感じられます。


バックの演奏も優れているのですが、エミネム自身の声も良い。

尖っているようで独特な丸みがあり、アグレッシブな曲調に彩りを与えている印象。

この曲を聴くと思うのは、エミネムのヒットの要因は楽曲のかっこ良さもあるでしょうが、彼特有の色気がある声質の要素も大きいという事。

ファンから「楽器を飛び越えて聴こえてくる声」と称される個性的な声ですが、それもまた彼のアイデンティティーなんですよね。

アーティストとしてだけじゃなく「プレイヤー」としても味がある歌手です。


また、たまに話題になる事ですが、歌詞も秀逸。

「最初は遊びだった だが今は僕にとってラップが全てだ 噛み付かれ 吐き出され 侮辱されてきたが」

「僕はラップを続けてきた 次の言葉を書き続けてきたんだ」
「こんな僕を支えてくれる人々が僕にはいるんだから」

エミネムといえばその過激すぎる作詞でテログループを敵に回してしまったり、とにかく容赦が無いリリックを綴る事で有名。

なんですが、この曲の歌詞は下積み時代に受けた、オーディエンスからの冷遇、そしてその自分を応援してくれた周囲の人達に対する感謝のメッセージが描かれていて、世間のエミネムに対するイメージとはまた違った作風になっています。

もともと超貧乏な家庭に生まれた上に、親にネグレクトされたりと逆境が多い人生を過ごしてきた事で知られるエミネム

世界的アーティストにも、こういう不遇の時代があったのかというシンパシーと、だからこそその中で支えてくれる人がいるのはありがたい事だ、という教訓がこちらの身に染みるようです。

(そういえばエミネムの名言の中には「魔法の言葉を忘れるな。『お願いします』『ありがとう』『ビッ◯は引っ込んでろ』、という言葉も笑」)

ハイテンションな作品が多いラップ曲の中でも珍しい“癒し”の作品ではないでしょうか。

まぁ癒しと言ってもこの15年後の「BET Hip-Hop Awards 2017」の授賞式でのフリースタイル・ラップにおいてドナルド・トランプ大統領を痛烈に批判するラップを披露したりと、尖った部分は今も変わってないのかもしれませんが。笑

重みと温かみのあるラップを聴いてみてください。



それでは。





Neru feat.鏡音リン『ロストワンの号哭』 

今日はNeru feat.鏡音リン『ロストワンの号哭』を聴いた感想を。


アルバム「世界征服 」収録。

この曲は、日本のNeruが2013年に発表したオルナナティブ・ロックです。


とても軽快で、悲痛な曲。

曲調はハイスパートでエネルギッシュなのに、陰鬱ともとれる歌詞の二項対立が印象的です。

演奏には有名ボーカロイド鏡音リン」が使用されているので歌声は可愛らしいのですが、歌われている歌詞自体は読み手のお腹にズシリとのしかかるようなヘヴィな内容。

「昨日の宿題は相変わらず解けないや 過不足無い 不自由無い 最近に生きていて」

「でもどうして僕達の胸元の塊は “消えたい”って言うんだ “死にたい”って言うんだ」


元々タイトルの「ロストワン」という言葉の意味自体
「本来は人並み以上に豊かな感受性を持っているのに、家族や周囲の人から注目されたり傷付けられたりする事を恐れ、自己主張を抑え込んでいる人」

という内容。

「自分を抑え込む事」自体は、社会に出れば大多数の人が体験する事ですが、ロストワンの人の特徴は、幼少期から家族に対してまでそうである事。

家に帰って家族に会えば、誰でもある程度家族とは腹を割って話ができるものでしょうが、彼らは家族相手でさえ主張を抑え込むため、まるで安息の場が無いそう。

心が窒息してしまいそうな状態なわけですね。


ただラストに進むと流れが変わります。

「面積比の公式言えますか 子供の時の夢は言えますか」
「その夢すら溝に捨てたのは おい誰なんだよ もう知ってんだろ」

「いつになりゃ大人になれますか そもそも大人とは一体全体何ですか」
「どなたに伺えばいいんですか おいどうすんだよ もうどうだっていいや」


散々悩み抜いた上で、最後には「もうどうだっていいや」と結論を投げ出してしまいます。

他アーティストの歌詞でも、始めはネガティブで後半にポジティブになる詞、始めから終わりまでネガティブな詞などはあると思います。

しかし最後にそもそも「結論を出さない」という構成な歌詞は珍しいのではないでしょうか。

一見すると「個性的」な歌詞ですが、しかしそもそも世間の大多数の人達は、自分の思想、人生観に対して、明確な結論なんて出していないんですよね。

それは「考えるのが面倒」という思いもあるのでしょうが、一方で「考えない間は不安にならずに済む」という思いもあると思います。


作詞・作曲者のNeruにそういう意図があったのかは解りませんが、「もうどうだっていいや」という通常ならネガティブに使われる言葉を、「辛いなら無理に考えなくても良いんだよ」という独特なポジティブさに昇華している所が斬新。

「ボカロ カラオケリクエストランキング」でTOP5に入る人気曲ですが、それは世間の人がこの曲の主人公と共に、自分の胸の内に抱えた空しさ寂しさを吐き出したい、と思っているからかもしれませんね。

それぞれの理由で閉塞感を感じている現代人には響くものがある歌だと思います。


歌詞の方はシビアですが、曲の方は前述の通りむしろ朗らか。

ハイテンションなリズムと覚えやすいメロディ。

特に歌メロのサビはほぼ同じメロディの繰り返しで、スッと耳に入りやすい構造になっています。

歌詞が難解なぶん、曲の方は親しみやすい方良い、という意図があったのかもしれませんが、個人的にもこれ位の配分の方が好き。

エキサイティングでナイーブでもある曲です。

寂しくて息苦しい、なのに青春の「足掻き」を感じさせてくれる曲を聴いてみてください。



それでは。




デフ・レパード『Love Bites』

今日はDef Leppard『Love Bites』について。


アルバム「Hysteria」収録。

この曲は、イングランドHR/HMバンドDef Leppardが1987年に発表したロックバラードです。


80年代のHR/HMバラードの良いところが溢れた曲。

ムーディな佇まい、濃いめにかかったリバーブなど、30年前的かっこ良さを存分に楽しめる内容になっています。

この曲で好きなのはジョー・エリオット (Vo)の、張り叫ぶような歌唱。

メタルボーカルらしいハスキーな歌声で、サビでは裏返りかかる程の硬質でハイトーンなシャウト。

にも関わらず、メロディは曇りが無いピュアな構成、というコントラスト感が最高です。

特にサビでの裏でガッツリかかるコーラスも美味しい。

ぶ厚過ぎて、ファンから「主旋律はどれなの?」と話題にされるほど。笑

ほぼ同時期の1986年に発表されたボン・ジョヴィの「Livin' on a Prayer」もそうですが、当時海外ではロックに重厚なコーラスワークを混ぜる、という組み合わせが流行っていたんですよね。

手法としてはオーソドックスなんですけど安っぽくはない。

むしろ聖歌隊のような上品さが、かえってロック特有の野性味と合わさって、まるで互いに足りないところを補いあうようなグループ感を演出。

優れたロック作品は必ずどこかでバランス、つまりは「調和」を感じられるものだという事を実感させてくれます。

ゴリゴリなサウンドでも、作りは丁寧というところが一流ロックアーティストという感じですよね。


実は歌詞も良い。

「僕の心が通じるのか それとも君は勝手なだけなのか」
「朝起きたら君は出ていくのか それは愛とは呼ばないだろ 投げ散らかすようなものを」

「愛は噛みつき 血を流す 愛は僕に屈服させるんだ」
「愛は生きて そして死んでいく 何も驚くことじゃない」

恋愛の良いところというより、恋愛の空しいところ、寂しいところに焦点を宛てた詞。

タイトルの『Love Bites』は英語圏では「キスのあとに残る歯形」の意で、それを「強すぎる愛はときに人を傷つける」という意味の暗喩だそう。

一般に当時のHR/HMバンドのラブソングは、もっと押し強い熱愛を描くイメージですが、こういうアンニュイなラブソングはやや珍しかったのではないでしょうか。

ジョーのハスキーな声でこの詞を歌われると、一層悲壮感を増します。

メロディ、メッセージ性の両方に秀でた曲。

収録アルバムの「Hysteria」自体1000万枚を売り上げた大ヒット作ですが、それはこの『Love Bites』の貢献が大きいのかもしれませんね。

HR/HMファンにも、一般人にもウケる曲バラードです。

吠えるようで、しなやかな曲を聴いてみてください。



それでは。













浜田省吾『悲しみは雪のように』

今日は浜田省吾『悲しみは雪のように』について。

この曲は日本のシンガー・ソングライター浜田省吾が1992年にリリースしたポップバラードです。


鈴木保奈美唐沢寿明江口洋介が出演した事でも知られるドラマ「愛という名のもとに」のOPテーマとしても有名。

1981年に水谷公生が編曲したオリジナル盤が出ていますが、この星勝がアレンジしたリメイクバージョンは、それより電子音が強調された構造。

と言っても、良い意味で芯は変わっていない、飾り気の無い素朴さが溢れた雰囲気ら生かされたままの曲調です。


この曲の良いのは、やはり歌詞。

「君は怒りの中で 子供の頃を生きてきたね
でも時には誰かを許すことも 覚えて欲しい」

「泣いてもいい 恥ることなく 俺も独り泣いたよ 誰もが泣いてる」

この歌詞が生まれたのは、とあるコンサート期間中。

期間中に浜田省吾の実の母親が危篤になってしまい、移動の新幹線の中で彼は茫然自失。

しかしその辛さの中で、

「悲しみは、決して自分だけにあるのではなく、
たとえばこの車中の他の人にも、車窓から見える人にも、見えない涙を流しながら、みんなに悲しみがあるんだ」

という答えに辿り着き、その想いを歌に代えたのが本作との事。

タイトルの『悲しみは雪のように』の「雪」の意味が仮に“誰にも平等に降り積もるもの”だとしたら、とても痛切なものがありますよね。

特に綺麗だと思うのが入りの

「君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には 心の底から 誰かを愛することが出来るはず」

のフレーズ。

「あなたも深く傷付いた事があるのだろうけれど、そのあなたは他の人の痛みにも気付けるはず」と、ただ傷付いて終わりなのではなく、その痛みを、あえて前を向く為の足掛かりにする。

タイトルで「悲しみ」と言っていますが、決してネガティブなだけではない、むしろ力強さすら感じる詞。

浜田省吾の語るように穏やかな歌声が、逆に歌詞に骨太感を与えています。

「雪」という言葉を使った詞で、こんなに温かい世界を表現した曲は稀有だと思います。

五木ひろし中村あゆみ稲垣潤一広瀬香美…など多くの著名アーティストからリスペクトされ、カバーされている曲ですが、それはプロも一般人も問わず、「誰しも」の心にある悲しみ、影で流している涙に気付き、そっと包んでれる優しさが伝わっているからではないでしょうか。

よくある言い回しですが、「普通である事が普通じゃない」歌なのかもしれません。


皆それぞれで苦しみ、皆それでも生きている、という事を思い出させてくれる曲を聴いてみてください。



それでは。






キャメロット『Forever』

今日はKamelot『Forever』について。


アルバム「Karma」収録。

この曲は、アメリカのヘヴィメタルバンドKamelotが2001年に発表したパワーメタルです。


アメリカン+北欧感がかっこいい曲。

L.A.メタルらしいノリやすいミドルテンポに、北ヨーロッパ特有のクラシカルなメロディが濃厚に融け合い、それでいて成立しているところが粋です。

北欧感、と言っても単なるパワーメタルでもなく、たとえばラプソディ・オブ・ファイアにも通じるミュージカル要素があるところが印象的。

さりげなくグリーグの超名作「ペール・ギュント」のオマージュと思われるフレーズが組み込まれていて、遊び心も感じさせます。


この作品の華は、なんと言ってもトーマス・ヤングブラッド(Gt)の奏でるソロ。

実際はかなりの速弾きもこなせるギタリストなのですが、本作ではあえてそれを抑えて、迫力よりメロディアスさに重きを置いたエレガントなプレイになっています。

よくギタリストをのプレイを「叫ぶギター」と「語るギター」の2つに分ける言い方がありますが、この『Forever』での彼のプレイはいわゆる「語る」演奏。

歌詞が亡き恋人を偲ぶ内容ですが、まるで歌うようなギターで思いきりメランコリックな感情を表現しています。

他のパワメタバンドならストリングスで鳴らしそうな流麗さ重視のメロディを、あえてギターで奏でるところが面白いですよね。


また、もう1つ素晴らしいのがボーカル。

ロイ・カーン(Vo)の太く厚みにある声に、聴き手の心の芯にズシりと響かせるパワーがあります。

パワーメタルはアングラやハロウィンの影響か高音域中心のイメージがありますが、本作は中音域主体。

爆発するような感情を表現するハイトーンも良いですが、たとえばロニー・ジェイムス・ディオが高音より中音域を多用していたように、楚楚とした中音もメタルの荘厳さを魅せてくれますよね。

ボーカルのメロディ自体が日本的なので、「歌モノ」好きなリスナーの耳にも馴染むのではないでしょうか。


キャッチーなのに、リスナーに媚びない上品さがある曲を聴いてみてください。



それでは。





ドリーム・シアター『Learning to Live』

今日はDream Theater『Learning to Live』について。


アルバム「Images & Words」収録。

この曲はアメリカのHR/HMバンドDream Theaterが1992年に発表したプログレッシブ・メタルです。


演奏時間11分強の、いわゆる大作曲。

収録アルバムである「Images & Words」の中でも最長のプレイ時間をほこります。

そのプレイ時間の中でもドリーム・シアター名物の変拍子を連発。

その変化の連続ぶりはファンからも「起承転結というより、転転転結」と評される程。笑

リスナーに長い演奏時間でも飽きる事のない、音楽での宇宙旅行を体験させてくれる作品です。

個人的に惹き付けられるのは、ジョン・マイアング(Ba)のベースプレイ。

単純に使用されているテクニックでは、ジョンがこの曲より複雑な技巧を使っている曲はあるのですが、メロディラインが美しく、良い意味でリズム隊らしくない美旋律で楽曲の土台を支えています。

この辺りはプログレ的強さですよね。


特にラスト付近のベースソロパートは壮観。

1音1音からメッセージのようなものを感じる程にリリカルな粒だちで、直後のラストパートを最大限まで盛り上げる前フリを演出。

ジョン・ペトルーシ(Gt)、ケヴィン・ムーア(Key) のプレイも華があって魅力的ですが、それに負けない位にこの曲では、ベースがヒーローポジションだと思います。

もちろんそれにピッタリと合わせるマイク・ポートノイ(Ds)のリズムマシーン並のテンポキープ力も見事。

精密でメロディックなリズムが光っています。


ちなみに作詞担当もジョン・マイアング。

ドリーム・シアターの楽曲の大半の作詞はペトルーシかムーアが担当しているイメージですが、本作では彼が担当。

「昔は僕は愛を求めた」
「今は“生”を求めている」

ペトルーシ、ムーアの綴る詞も理知的で高い思考力を感じさせますが、マイアングの綴る詞はそれとは少し質が違う、彼なりの人生への哲学が描かれたもの。

タイトルの『Learning to Live』(僕は生き方を学んでいる)通り、劇的な楽曲に相応しい、深みを感じさせる内容ではないでしょうか。

声色の変化が得意なジェイムズ・ラブリエ(Vo)がこれを歌う事で、豊潤なストーリー性を演出。

テクニックだけじゃなく血の通った、少し悲痛で、強い温かさを感じるプログレ作品だと思います。


ロジカルなのに、人間味に溢れた曲を聴いてみてください。



それでは。





サイモン&ガーファンクル『The Sound of Silence』

今日はサイモン&ガーファンクル『The Sound of Silence』について。


この曲はアメリカのポップスデュオ、サイモン&ガーファンクルが1966年にリリースしたポップバラードです。

映画「The Graduate(卒業)」の挿入歌としても有名。

マリー・ラフォレ、リチャード・アンソニーカーメン・マクレエ、クミコ、ディスターブド …など数々の著名アーティストにカバーされている事でも知られています。



儚げなようで、芯が太い曲。

ポール・サイモン(Vo.Gt)の奏でるフォークギターの音色が、まるで葬式に流せそうなほど穏和で痛切。

けれどサウンドは空しげでも、メロディ、そして歌声に強さ、僅かですが明るさのようなものが感じられ、そのぼんやりとした脆さと綺麗なバランスがとれています。


この曲で印象的なのは歌詞。

「一万、おそらくそれ以上の 話さずに語らう人々」
「聴くことなく聞いている人々」


「「馬鹿」と僕は言った」
「「君たちは本当に知らない癌のような沈黙が育っていることを」」
「僕が諭す言葉を聞いてくれ 僕が差し出した腕を掴んでくれ」
「でも、僕の沈黙の雨粒のような言葉は落ちて、
その沈黙の井戸に、こだました」


社会には様々な重い課題がひしめいている。
それにも関わらずそれに当たり前のように見ないふりをし、「沈黙」する人達への憂いが表現されています。

本作がリリースされた直前のアメリカでは、北ベトナムを北爆、更にたった2年前ではジョン・F・ケネディの暗殺事件など、国家規模で大きな波乱が巻き起こっていた時期。

作詞者のサイモンがそれらを意識して書いたのかは定かではありませんが、そういう社会全体で「その事とどう向き合うか」を考えなきゃならないような事でも、実際にそれと向き合って意見を述べる人は少ないよね、という悲しい独白ともとれる歌詞です。

こういういわゆる「社会派」的な歌詞は、例えばU2「Bloody Sunday(血の日曜日)」のようにリアルな描写が通例なイメージがあります。

しかし本作のソレは、何の問題を指しているのかはあえて語らず、あくまでその問題を「見て見ぬふりをする民衆」側に対する想いが綴られている、おそらく珍しいタイプの楽曲ではないでしょうか。

サイモン自身はこの曲の歌詞に「それほど深い意味はないよ」と語っていますが、読み手側からすれば何かを考えずにはいられない、引き寄せられるものがある歌詞。

陽炎のように、ふわふわしていてそれでいて脳裏に焼きつく鋭さを兼ね備えた作品だと思います。


「無視」を悲しむ想いが、込められた曲を聴いてみてください。



それでは。